今日は我が子の命日です。
5年前の今日、わたしは出産しました。
本来はおめでたいはずの誕生日。
ですが、誕生日を迎えているはずの我が子は私のもとにはいません。
この記事で
我が子の命日を祝うこと、そのことをなぜブログに書くのか
私の想いを伝えさせてください。
Contents
天使ママとは

記事タイトルに書いている「天使ママ」。
お子さんを授かりながら、おなかの中やお産のときにこの世に生を受けなかった、もしくは短い一生だったお子さんを授かったお母さんを「天使ママ」と呼ぶそうです。
引用:池川明の胎内記憶より
流産、死産、新生児死亡を経験したお母さんのことを天使ママと呼んでいます。
賛否両論ある天使ママ
天使ママという言葉、賛否両論あるみたいです。
キーワード検索をすると
- 天使ママ うざい
- 天使ママ 嫌い
- 天使ママ 気持ち悪い
などなど・・・みていて悲しくなる意見も出てきます。
迷惑かけたつもりはないのですけどね・・・
天使ママに救われた
しかし、当事者にとってみれば「天使ママ」にどれだけ救われたことか・・・
この天使ママのつながりで、私は少しだけ前を向くことができました。
そしてたくさん、うれしい言葉もかけてもらいました。
同じ経験をした天使ママたちがいなかったら、わたしはどうなっていたかわかりません。
天使ママたちとのつながりに関しては「10月4日は天使の日。常位胎盤早期剝離で死産したわたしを救ってくれたのは、同じ経験をした天使ママでした。」でまとめています。

5年前の今日、人生が変わった
5年前の今日、私は天使ママになりました。

産後は子どもがいない事実を受け入れられず、人にも会いたくなく、ずっと家にいたかったです。
しかし上の子もいるため、赤ちゃんや妊婦さんがいる環境へ行かざるをえない環境がつらくてたまりませんでした。
そんな毎日、心を殺して過ごしていました。
笑ったり、楽しんだりすると、お空に還ってしまった我が子に悪い気がして・・・・
そして少しずつ日常になれてきたところに命日がやってきました。
命日がつらかった
初めての命日が近づくと、体調を崩したり、気分が落ち込んだりしました。
この反応は大切な人を失ったときにでる反応で記念日反応というそうです。
喪失の悲しみには強弱があり、その時のちょっとした要素で、悲しみが軽く感じられたり、重く感じられたりするものです。その中でも多くの人が同意するのが「記念日のつらさ」です。
特に命日、自分や故人の誕生日、結婚記念日、クリスマスや正月など家族団欒の思い出の強い日、亡くした子供が学校を卒業するはずだった日、などは遺されたものにとって象徴的で、こういった日には故人をことさら強く思い出し、さみしく、悲しい思いが募り、抑うつ的な気分になる事が多くあります。
私だけ生きていてよかったのか・・・
なんであの子はいないのだろうか・・・
命日・・・誕生日だったのにどうして私は祝えないのだろう・・・
当時はそんなことばかり考えていました。
しかし、新たに子どもが生まれ、時がたつと、少しずついろいろなことが受け入れられるようになりました。
なので、命日を祝う

命日は特別な日。
我が子が生まれ、そして短い人生を終えた日。
私はその命日を誕生日として受け入れることにしました。
命日は小さいケーキと、かわいいお花、そして小さめのおもちゃを買って、遺骨に飾る。
小さいバースデーパーティ。
歳をとることはないけれど、きっと天国で幸せに暮らしているはずと信じてお祝しています。
ほかの人から見ると気持ち悪いかもしれない、ちょっとうざいかもしれない。
だけど、戸籍に残らない我が子がいたという証明をしたい、子どもの存在をなかったものにしたくない。
なので、わたしはこどもの命日を誕生日として祝っています。

だから、わたしは我が子の誕生日をブログに書く

お空に還った子の誕生日をブログに書くのはおかしいのかもしれません。
おめでとうって何か変な感じなのかもしれません。
ですが、天使ママにとってどんな形であれ我が子は我が子。
そして命日である誕生日にはお祝をしたい。
戸籍にのらないなら自分で記録を残す。
そうすることで、我が子の存在をしっかり受け止めることができ、自分自身の気持ちが穏やかになります。
だからわたしはブログに子どものことを書いていきます。
そしてずっと子どもと一緒に生きていきます。
我が子へ
誕生日おめでとう!
天使ママに知ってほしいサイト
日本グリーフケア協会
グリーフケア関係の資格情報もあります。
ポコズママの会
小さな子どもとおわかれした互助支援の会
天使の絆・名古屋 東海地方の天使ママの会
東海地方で活動する互助支援の会
わたしが妊娠出産記録を書こうと思ったわけ
同じような体験をした方の心が穏やかになりますように

スポンサードリンク